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東京高等裁判所 昭和62年(ネ)76号 判決

控訴人(原告) 遺言者亡田中實遺言執行者川野亀治郎

被控訴人(被告) 原弘子 外一名

主文

原審昭和61年(ワ)第5608号事件につき、原判決を取り消す。

被控訴人両名は、控訴人に対し、別紙物件目録記載の不動産につき東京法務局○出張所昭和61年3月20日受付第××××号をもってした所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人両名の負担とする。

事実

一  控訴人代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴人ら代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、左記のとおり加入するほか、原判決事実摘示第二(原審昭和61年(ワ)第5964号事件にのみ関する部分を除く。原判決添付の物件目録をふくむ。なお同物件目録を別紙物件目録のように訂正する。)と同じであるから、それをここに引用する。

原判決5丁裏1行目と2行目の間に、

「すなわち、

(一)  『遺産は一切の相続を排除し』との記載の意味であるが、右が民法893条に定める廃除の意味だとすると、被控訴人らは亡加藤淳の相続人ではあるが遺留分を有する推定相続人ではないし、かつ亡加藤淳には被控訴人ら以外他に相続人はいないのであるから、無意味な遺言といわざるを得ない。

(二)  次に『全部を公共に寄与する』との記載であるが、以下の理由で無効な遺言といわざるを得ない。

(1)  公共に『寄与する』との遺言の真意についてであるが、これは、(イ)公共への『寄附行為』(民法39条)の意思の表明か、あるいは、(ロ)公共への『包括遺贈』の意思表示のいずれかであろうと推測される。

(2)  ところで、民法の定めによると、寄附行為者は定款を作成し、目的・名称・事務所・資産に関する規定・理事の任免に関する規定を定めることを要するとされている。

(3)  遺言者である亡加藤淳は右のごとき具体的な定款作成行為は一切行っておらず、またこの作成を何人かに一任するような意思表示もしていない。従って寄附行為としては成立しておらず無効である。

(4)  次に『寄与』の意味を『包括遺贈』の意とすると、遺贈を受ける対象は『公共』である。

(5)  『公共』とは余りにも広義な対象である。国・地方自治体は勿論のこと、赤十字社・国鉄その他無数の公益性を有する社会的な人的・物的組織体を指すこととなる。

(6)  これでは余りにも遺言者の意思表示としてその内容が特定していない。遺贈の対象たる具体的な『公共』の選択と選択した公共への具体的『遺贈の割合と金額』を遺言執行者に一任することは遺言の内容が不明のまま遺言執行者に一任することは遺言の内容が不明のまま遺言執行者に遺言を代理させることと同様な結果になるのであるから、自筆証書遺言としては許されないものといわねばならない。」

三  証拠関係は本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

当裁判所は、当審における資料を加えて本件全資料を検討した結果、控訴人の本件所有権移転登記抹消登記手続請求(原審昭和61年(ワ)第5608号事件)は理由があるので認容すべきものと判断する。その理由は次のとおりである。

一  引用原判決事実摘示中の(第5608号事件)請求原因3の事実(加藤淳の死亡と被控訴人らの相続)、同4のうち検認手続がされたこと、同5の事実(遺言執行者に就職する旨の通知)、同6の事実(相続による所有権移転登記の経由)はいずれも当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない甲第1ないし第3号証、第4、第5号証の各1、第6、第7号証、第8号証の1ないし3、第9号証の1ないし5、第12号証の1ないし5、乙第1号証の1ないし7、原審における控訴人本人尋問の結果によりいずれも真正に成立したものと認められる甲第4、第5号証の各2、原審証人河合明雄の証言(後記信用しない部分を除く。)、原審における控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の各事実が認められる。

1  控訴人(大正12年11月1日生)は、その祖父と亡加藤淳の妻よしの祖父とが兄弟であったことから、亡加藤淳(明治37年3月28日生。以下「亡淳」という。)と昭和15年10月ころ以来親戚づき合いをしていたもので、終戦後、昭和24年4月から同27年8月までの間は、東京都港区○○○町(現・○○○×丁目)所在の亡淳の居宅に下宿をして○○製作所に通勤し、また亡淳の法律事務の処理(ただし無資格)を手伝っていたものである。控訴人は昭和29年4月、郷里の青森県西津軽郡○○○町へ戻り、昭和30年から土地家屋調査士をしている。

2  亡淳・妻よしの間には子がなく、亡淳は昭和48年9月10日付けで、遺言書と題し、「私の遺産全部は妻加藤よしの所有とし、他に遺留分請求権者なく、妻以外の者の相続分請求権は本遺言を以て一切排除する。妻死去の際は遺産全部を特殊法人日本赤十字社に寄附し、私並びに妻の遺骨も同社の保管に委する。」等と自書した遺言書(甲第12号証の2)を作成した。亡淳の妻よしは昭和53年11月25日死亡し、以来、亡淳の友人河合明雄(以下「河合」という。)が亡淳の食事の世話をしていたが、亡淳は昭和54年10月6日付けで、「証」と題し、「貴殿」(河合)を私の遺言執行人と定めます。」との旨自書した遺言書(乙第1号証の3)を作成し、また、昭和55年2月14日付けで、遺言書と題し、「私が亡妻よし(昭和53年11月25日死亡)生前に作成しました遺言は右よしの一切の財産を私が継承しました為左記の通り訂正します。私の死亡の際の医師等に対する支払一切は私の預金有価証券にて賄ひ其の残余は愛犬の飼育費埋葬費(私の現住する庭に)に充当する。従って遺言執行人を煩はす事は一切ない。」等と自書した遺言書(乙第1号証の2)を作成した。

3  その後、控訴人が昭和58年2月10日ころ、出張の折、亡淳宅を訪問したところ、亡淳は涙を流して再会を喜び、控訴人に対し、「いいところへ来てくれた。これも神様のお引き合わせだろう。おまえに頼みたいことがあるから、2月の28日に家内ともども青森から出てきてくれ。」との旨を述べた。そこで、控訴人が同58年2月28日、妻を同伴して亡淳宅に赴いたところ、亡淳は「うちの中が汚れてるから」と、ことわりを言って、庭にりんご箱を重ね、控訴人夫婦の面前で、

「御願

貴殿に私の遺言の執行を委嘱致し度く存じますので何卒よろしく御願申上げます。

昭和58年2月28日

東京都港区○○○×の×の×

加藤淳

育森県西津軽郡○○○町大字○町××の×

小島謙太郎殿」

と複写にして自書し、亡淳の署名下に自己の印鑑を押捺して、控訴人を亡淳の遺言執行者に指定する旨の自筆証書遺言(以下「本件遺言執行者指定の遺言」という。」をしたうえ、右遺言書のうち1通(甲第4号証の2。以下「本件遺言執行者指定の遺言書」という。)控訴人に交付した。その際、控訴人が亡淳に、「私よりももっと立派な人が先生のそばにおるんじゃないでしょうか。」などと尋ねたのに対し、亡淳は、「頭も良く学校も出てる人はおるけれども、その方は何年か前に執行人の委嘱をしたが、今一つ信用できないので、遺言状は渡してない。おまえは頭が悪いし、馬鹿正直だから、おまえに頼んだ。」との旨、控訴人に述べるとともに、亡淳の誕生日にあたる同58年3月28日に再度来宅するよう依頼した。そこで、同58年3月28日、控訴人が妻及び妻の弟を同伴して再び亡淳宅に赴いたところ、亡淳は控訴人らの面前で、

「遺言書

1  発喪不要。

2  遺産は一切の相続を排除し、

3  全部を公共に寄与する。

昭和58年3月28日

遺言書加藤淳

東京都港区○○○×の×の×(現住所-住民票ある)

明治37年3月28日生。

追記 一切自書、印鑑証明ある印影。」

と複写にして自書し、亡淳の署名下に自己の印鑑を押捺して、その旨の自筆証書遺言(以下「本件遺言」という。)をしたうえ、右遺言書のうち1通(甲第5号証の2。以下「本件遺言書」という。)を控訴人に交付した。その際、控訴人らが、亡淳に「先生、身内があるんでしょう。」などと言ったところ、亡淳は、「妹が二人おる。ところが今現在絶縁で、私は天涯孤独だ。だから何も心配することはない。それで何か身内から言ってきた場合に、この遺言書を出せばいい。おまえ達は別にそんなことは心配しなくてもいい。」などと言って控訴人らを叱った。

4  亡淳は昭和60年10月17日死亡した(この点は当事者間に争いがない。)控訴人は亡淳の亡骸を火葬にし、亡淳宅の掃除や貴重品、書籍類の整理等をしたのち、昭和61年2月24日ころ、東京家庭裁判所に、本件遺言執行者指定の遺言書及び本件遺言書を提出して、その検認を請求した結果、同61年4月22日、同裁判所において右遺言書2通の検認がされた(検認手続がされたことは当事者間に争いがない。)。そして、控訴人は、同61年4月23日、被控訴人らに対し亡淳の遺言執行者に就職する旨を通知した(この点は当事者間に争いがない。)。

5  ところで、被控訴人両名は、いずれも亡淳の妹で、従前より亡淳と絶縁状態にあったものであるが、亡淳の死後、亡淳の遺産中、別紙物件目録記載の不動産(以下「本件不動産」という。)につき、東京法務局○出張所昭和61年3月20日受付第××××号をもって、昭和60年10月17日相続を原因とする所有権移転登記(以下「本件登記」という。)を経由した(被控訴人らが亡淳の遺産中の本件不動産につき本件登記を経由したことは当事者間に争いがない。)。

以上のとおり認めることができる。

被控訴人らは、本件遺言執行者指定の遺言書は亡淳から控訴人あての単なる書簡にすぎず、遺言書ではない旨を主張するところ、前顕証人河合明雄の証言中には被控訴人らの右主張に照応する供述部分が存在するが、右供述部分は前顕採用各証拠に比照してたやすく信用することができないし、また、前記乙第1号証の3の遺言書の記載文言と本件遺言執行者指定の遺言書の記載文言とに表現の差異があるが、叙上認定説示の事実関係のもとにおいては、本件遺言執行者指定の遺言を自筆証書遺言と認定する妨げとなるものではない。

本件全資料を検討するも、他に叙上認定を覆すに足りる証拠はない。

二  そこで、本件遺言の解釈、効力について検討する。

本件遺言執行者指定の遺言書を含めた本件遺言書の全記載文言、本件遺言書作成当時の事情、及び遺言者亡淳の置かれていた状況など叙上認定説示の事実によれば、本件遺言書中「遺産は一切の相続を排除し、」との条項は、それに続く、「全部を公共に寄与する。」との条項との関連、並びに被控訴人らが従前より亡淳と絶縁状態にあったもので、亡淳の遺留分を有しない妹であることなどの事情にかんがみ、民法893条の規定にいう推定相続人を廃除する意思を表示したものでなく、「全部を公共に寄与する。」との条項とあいまって亡淳の遺産につき被控訴人ら相続人に相続財産を残すことをせず、その全部を公共に寄与する趣旨を明確に表示したものと解すべく、また、本件遺言書中「全部を公共に寄与する。」との条項は、本件遺言書中に財団法人の目的、名称、事務所、資産及び理事の任免に関する規定等の記載を全く欠いていること、並びに他人をして一定の目的に従い財産の管理又は処分をさせる旨を表す記載が一切ないこと、その他叙上認定説示の諸事情のもとにおいては、公益財団法人の寄附行為を遺言したもの、或いは信託法にいわゆる公益信託を遺言したものとは認めがたく、亡淳の遺産全部を、国・地方公共団体に包括遺贈する意思(いわゆる公益的包括遺贈に属する。以下本件公益遺贈という。)を表示したものであり、本件遺言執行者指定の遺言は、本件公益遺贈につき、右のとおり定めた受遺者たり得べき者の範囲内において、受遺者の選定を控訴人(遺言執行者)に委託する趣旨を含むものと解するのが相当である。

そうとすれば、本件遺言執行者指定の遺言を含め、本件遺言は、本件公益遺贈につき、受遺者たり得べき者の範囲を明確に定めているし、遺言執行者が受遺者を選定するのに困難もなく、その選定が遺言者の意思と乖離する虞れもなく、また民法902条その他関連法条の法意に照らして考量しても、有効なものというべきであって、本件遺言を無効とする法理・合理的理由を見い出すことはできない。

なお、大審院昭和14年10月13日判決(民集18巻17号1137頁)の示す法理は本件事案に適切なものではない。これと見解を異にする引用原判決事実摘示中の被控訴人らの所論は採用することができない。

他に、本件遺言書執行者指定の遺言及び本件遺言の効力を否定すべき事実の主張立証はない。

三  以上によれば、亡淳の遺産中の本件不動産につき本件登記を経由した被控訴人らの行為は、本件遺言の執行を妨げるべき行為にあたり、控訴人(遺言者亡淳遺言執行者)は、被控訴人らに対し、民法1012条、1013条に則り、その抹消登記手続を請求することができるものというべく、控訴人の本件登記抹消請求は理由があるので認容すべきである。よって、これと異なる原審昭和61年(ワ)第5608号事件についての原判決は不当であり、本件控訴は理由があるから右原判決を取り消し、控訴人の請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法96条、89条、93条を適用して、主文のとおり判決する。

別紙目録〈省略〉

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